秋から冬へと急足。
あわてて紅に染まったメグスリノキ。
小春日和と初冬を行き来している内に、葉を落としそうだ。
夏以降、母のモノ取られ妄想が酷くなった。
無くすのは、現金のみ。
数分前にしまったのも、分からなくなってきた。
分からないという時もあれば、盗られたという時もある。
その度に、部屋に仕掛けてるカメラの記録を再生する。
簡単に発見できる時もあれば、そうでない時もある。
見守りカメラのデータが保存されるのは、7日間である。
1日24時間、早送りは8倍速までなので、飛ばしながら検索する。
何もする事がない母は、テレビを見てるか、食べてるかを繰り返す。
その合間に、持っている現金を隠しまくるのだ。
毎日、毎日、あちこち、そちこち。
洋服箪笥の中身を引っ張り出しては、その隙間にお金を隠す。
それじゃ、見つかると思うのか。またすぐに別の場所へ移動する。
途中で散らかった洋服を片付け始める。
そうすると、徹底して洋服整理を始める。
母の箪笥の中身は、いつも、きちんと畳まれた洋服が入っている。
認知症になると、整理整頓が苦手になると言うが、あれは、途中で何をやっているかわからなくなる為で、うちの母の場合、お金を隠すのが最初の目的で、それを忘れて整理整頓に入るパターンとなっている。
そうなると、衣類の整理は出来るが、当初の目的が何だったのかが分からなくなる。
それが暫くし、財布を見ると、入れたはずのお金がないことに気づく。
ま、そもそも、財布には入れてないのだけどね。
すると、無くなった騒動となる。
母の認知機能を考えると、この状況は、致し方ない事である。
むしろ、整理整頓は出来るのだから、良しとするべきである。
しかし、私の理性は、全くもって崩れ去る。
無くすことは仕方がない。
それを責めるつもりは、サラサラない。
ただ、無くなった事実を「盗られた」と正当化する根性が許せないのだ。
自分は悪くない。他の誰かがやったんだ。
自衛本能なのだろう。
その自衛に腹が立つ。
何だか、分からなくなった。なら、まだいい。
じゃ、探してみようね。と優しく言える。
何度繰り返されても、それなら、怒ることはない。
認知機能の衰えは、仕方のない事だ。
分からなくなることを嘆くつもりはないし、腹も立てない。
だが、誰かに押し付ける事で自分を守る。
私は、そんな根性の悪い人の子なのか!?
この体にも、その捩れた血が混じっているのか!?
と、怒りが込み上げる。
当の本人は、悪気もなく、盗まれたと思い込んでいるだけ。
うううう、最近この繰り返し。
今朝も、また同じ。
いよいよ、声を荒げたら、電話越しの母は、何〜聞こえない。とすっとボケる。
毎回思うが、怒った方が負け。
無駄なエネルギーを使うだけだもの。
だが勢いで、もうお金は渡しません。と断言した。
すると、その後間もなく、お金を返してもらったと電話が来た。
誰かが、布団の下に、「どうぞ使って下さい」って書いて置いていったらしい。
ここまで来ると、確信犯か。
まぁいい。
振り回されるのは、もうごめんだ。
別な対処法を考えよう。
認知機能の衰えた高齢者との付き合いは、常識が通用しない。
ま、自分が常識と思っている事が、相手も同じではないのだから、仕方ない。
適当に聞き流すのも、必要だのだ。
しかし、あと何年振り回されるのであろうか。
そろそろ、葬儀屋を事前予約しておこう。
それが、最大の親孝行かもしれないねぇ。