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100歳

 友人のお母様が、100歳の誕生日を迎えられた。

 大正13年に生まれ、昭和、平成、令和と4つの時代を生き抜いてきた。

 

 父親の仕事の関係で、東北を転々とし、友達を得ることができなかった。

 女学生になり、寮に入り、ようやく友達がいる楽しさを味わった。

 戦争が本格化して、勉強どころではなかったが、それでも卒業して勤めに出た。

 大空襲が突然始まり、頭上から落ちてくる爆弾に当たって終わるのだと思った。

 幸いにも助かったが、外には、地獄の光景が広がっていた。

 思い出したくもないが、忘れる事ができない。

 そして、終戦。

 それまで信じさせられていた諸々が、全部嘘っぱちだと知り、絶望した。

 与えられた情報の脆さに気づき、何を信じればいいのか分からなくなった。

 

 

 そんな昔の話を、静かに語ってくれた。

 年齢を全く感じさせない。

 いや、年齢って、何だろうね。

 歳を数えるのは、無意味だ。

 生きてきた年数は、細胞の経過に過ぎない。

 何を考え、どう生きるか。

 自分の意思で考えたか、否か。

 長く遠い過去の記憶は、その後どんなに幸せでも、なかった事にはならない。

 それを背負いながら、生きてゆく。

 自らの目で見て、感じた矛盾を蔑ろにしない。

 隣の芝生に惑わされない。

 自分で種を蒔き、育てるのだ。

 花が咲けば、また、種になる。

 その庭から緑を絶やさないように、育み続ければいいのだ。

 

 友人は、

 お母さんの子供で良かったと、心から思っています。

 そう、感謝の言葉を述べた。

 私は、母親が100歳になっても、そんな言葉は、絶対にかけられないなぁ。

 心の中の捻た自分が、呟いた。