2020東京オリンピックに合わせ、中学校の同期会が計画されたのが5年前だった。
私たちが生まれたのは、1964東京オリンピックの年である。
東京オリンピックだし、同期会やろうゼェ〜
始まりは、実に単純な発想だった。
それ以前も、同期会は行われていたので、それほど難しい事ではない。
と、思っていた。
各クラス幹事が集まり、あれこれ話し合った。
私にも声が掛かった。
もちろん、参加した。
断る理由はないし、イベントの計画は、むしろ好物である。
男子に混じって、幹事会に参加した。
しばらく見ない間に、みんなおっさんになっていた。
ま、私も白髪のおばはんだけど。
見てくれがどんなに年取っても、話している時は、中学時代と何も変わらない。
だがそれは、ほぼ飲み会であり、決め事は、一向に進まない。
そうこうしている内に年が変わり、社会情勢に不穏な影が見え始めた。
コロナ禍の始まりである。
同期会の日時や会場は決まっていたが、とりあえず、保留。
しかし、事態は悪くなる一方であった。
全てキャンセルされ、幹事会も一時解散となった。
そして、2023年5月。
やっと日常が戻り始めたのを機に、再び幹事会を発足させた。
還暦の年になろうとしていた。
じゃ、還暦祝いも兼ねてって事で。
発想は、単純でいいのだ。
そこから、1年ほどの時間をかけて、全ての準備が整った。
開催の1週間前に、最後の幹事会が開催され、当日の段取りを確認した。
あとは、当日を待つのみ。
と、ここで。
幹事会の二日後、体調の異変を感じた、私。
いや、え、これって・・・
はい、新型コロナ感染です。
まじか。
おい、マジかよぉ〜
ただ、療養期間は、同期会の前日までなので、出られない事も・・ない。
いや、当面は、人混みを避けるように言われたし。
幹事会のグループLINEに感染したと報告することにした。
すると、次から次に、感染者が出て来たのだ。
え、って事は、幹事会が感染源なのか。
ま、犯人探しをしても仕方ないが、利用した飲食店が怪しいと見た。
その日参加した13人中、7人が感染。残りは、陰性だった。
それが救いだった。
メイン司会も感染だが、仕方ない。
そこから、てんやわんやで役割分担を再構成。
何とか当日になだれ込んだ。
トラブル続々ながらも、無事開会宣言。
感染者は、リモートで参加。
ま、始まっちゃえば、なるようになる。
諸々あったが、無事時間通りに宴を終えたようだった。
コロナ禍では開催出来ないからと延期したのに。
幹事7人がコロナ感染で欠席とは。
後々まで語り継がれる同期会になるだろうなぁ。
と。
初のコロナ感染の洗礼を受けた夏だった。