どこにでもある、さもない花だと思っていた。
夏の始まりになると、近所の草っ原に咲いていた。
地面からすっくと伸びた姿は凛々しいが、垢抜けない桃色が田舎くさいと思っていた。
いつの頃からか、この花を見かけると、妙な懐かしさを覚えるようになっていた。
そうだ、父が鉢植えで栽培していたのだ。
どこにでも咲いている花を、どうして鉢植えになどしたのだろう。
当時は大して気にも留めなかった。
だが、ネジバナの栽培は非常に難しく、何年も花を咲かせるのは至難の業である。
野に咲いている花も、こぼれ種で芽吹く一代限りが多く、今年群生しても、来年も同じように咲くとは限らないと知った。
一度、群生しているネジバナを掘って、店の駐車場脇に植えた事がある。
荒地に咲くイメージがあったので、簡単に根付くと思っていたのだ。
しかし、翌年芽を出すことはなかった。
日当たりが悪かったのかと思っていたが、そう簡単な理由ではなかった。
植え替えによって、土の中の環境が変わり、それに合わせようと力を使い果たし、結局枯死してしまうのだ。
ああ、父は、ネジバナだったのか。
生まれた土地を離れる事なく、家が変わっても、家具の配置を変える事なく、擦り切れても継ぎ接ぎをして同じ衣類を好み、新しい諸々には馴染もうとせず、ただひたすらに、直向きに生き抜いた人だった。
そうか、だから、毎年、同じ鉢で花を咲かせられたのだ。
そう思うと、ネジバナが愛おしくなった。
また来年も同じ場所で、この花が見られるように願う事にしよう。
ケーキを食べた後、真剣にお皿と向き合っている人がいた。
皿に虫でもいたのかと思い、声をかけようと思った。
が。
なんとも楽しいことをやっているのに気づき、席を立つまで何も言わずにいた。
これまで二十年。
こんなお返しを頂いたのは、初めてである。
ありがとうございます。
写真撮影と掲載は、ご本人の許可を得ています。