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たわわ

 ブルーベリーがまだ市民権を得てなかった頃、この青い果実を自分で作ってみたいと思っていた。

 大都会東京の街中に住んでいたし、栽培する土地もなく、何より、どうやって苗を手に入れるのかも分からず、もっと言えば、生で食べたことさえなかったのに、その実が、ただ青いというだけで、果てしないロマンを感じていた。

 今では、どこのホームセンターでも買える苗だが、当時は、栽培農家から分けてもらうしか考えられなかった。

 おそらく、種苗メーカーに問い合わせれば、きっと普通に買えたのだと思うが、そこまでの考えは、無知ゆえに思い付かない。

 たまたまニュースで見たブルーベリーだった。

 栽培している農家さんの名前を電話帳で調べ、門前払いを覚悟で電話をした。

 その農家さんは、快く見学をさせてくれた。

 農業の知識が全くないのに、図々しくもあれこれ質問した気がする。

 優しく教えてもらった気がする。

 当時は、あまりにも漠然としすぎていたので、農園を訪れたことだけで満足してしまった気がする。

 ただ、いつかは、自分で絶対作るぞ。

 そんな意気込みだけは、強く抱いた気がする。

 四半世紀以上前の話だ。

 あれから、幾年月が過ぎ去り、気がつけば、毎年たわわに実ったブルーベリーを収穫している自分がいる。

 すげー。夢、叶えてんじゃん!!

 と、思うだろうが、確かに夢は叶えられたが、自分の努力ではないのが現実である。

 2003年に三春に移り、たまたま出会った方がブルーベリーの栽培者だった。

 今や、三春にブルーベリーを定植させた立役者だが、当時は、懸命に植えている真っ最中だった。

 植樹して3年は収穫をせず木を育てるのだが、その一環として碧い月にも苗木を提供してくれたのだった。

 三春がブルーベリーの里になればいいのだから。

 そんな善意におんぶに抱っこ状態だった。

 植え付けから、剪定、肥料まで、全部お任せ。

 つまり、私は、ごくたまに、周辺の草を刈り取るだけ。

 これじゃ、自分で栽培とはいえない。

 が、植樹から3年後。見事なブルーベリーが実り出した。

 結果、私は、夢のブルーベリー栽培を実現させていることになる。

 他人の褌もいいところであるが・・・

 今年も、青い宝石は、たわわに実っているのだ。

 しばらくは、毎日収穫が続く。

 ジャムの製作もぼちぼち出来そうである。

 

 私は多くの人たちに助けられて生きている。

 そうしみじみ感じている。