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入院

 覚悟はしていたものの、いざ目の前に迫るとバタついてしまう。

 予定では、検査のため約2週間の入院と告げられた。

 手術が前提の検査入院である。

 検査終了後、一旦退院してから、手術日程が決まり、改めて入院となる。

 その予定は、検査をしてみなければわからない。

 ともかく、2週間は病院の外には出られない。コロナ禍での入院なので、外出許可は降りないのだ。もちろん面会も出来ない。

 完全に社会から隔離されてしまう。

 まず私に必要だったのは、パジャマである。病院のレンタルを使ってもいいのだが、それは味気ない。新しいパジャマを揃えるため、まずは、ユニクロへ向かった。

 何しろ私は、ちゃんとしたパジャマを持っていなかったのだ。

 明日からは、パジャマが日常着になる。快適なものを選ばなければ・・

 しかし、元来のケチさが出てしまい、どうしても値下げワゴンの中から選ぼうとしてしまう。そうなると、サイズもデザインもが限られてしまう。所詮、売れ残りだからである。

 私は、メンズの安売りワゴンから、Sサイズのパジャマを選んだ。

 それが一番しっくりした。

 もう一つ必要なものがあった。病院内で履くサンダルである。

 最近は、転倒防止のためスリッパは推奨されていない。

 少し前から気になっているサンダルがあった。

 正札で買うには、少し高いと思っていたが、この際自分を鼓舞するためにもそれを買うことにした。パジャマ3着分と同じ値段だった。

 パジャマとサンダルで、普段買う衣料費の一年分くらい使った気がした。

 それくらい、私は、服を買わない。

 準備は、まだまだ終わらない。

 冬の始まりである。観葉植物を室内に取り込まなければならない。

 頼まれていたケーキを焼いて届けなければならない。

 母に当面の食料を送らなければならない。

 高齢者施設にいる母には、事実は知らせないことにした。ただ、最低2週間は連絡が取りにくくなるし、その後もどうなるかわからないので、施設の相談員には、現状を連絡した。

 母には、少し多めの食料を送り、出張でしばらく留守にするので、食べ物がなくなったら、施設の食事を取るように伝えた。

 母は、特に何も疑わない。

 大家さんには、事実を伝えた。留守を守ってもらうためだ。何しろ、一度泥棒が入っているから、取られるものがなくても、心配である。

 出発時間ギリギリまで準備に追われた。

 入院前最後の食事を堪能する余裕はなかった。

 いささか、心残り。

 ま、仕方ない。

 いざ、出陣である。

 11月13日(土)午後2時

 星総合病院の入院センターで受付を済ませた。

 しばらくすると、病棟の看護師さんが迎えに来て、これから2週間お世話になる病棟へ案内された。

 ここの病室は、全て二人部屋である。窓からの眺めも悪くない。

 実は、5年前のほぼ同じ時期に、父がこの病院に入院していたのだ。大腿骨を骨折して転院し、ここで手術をした。あの時、夕食を介助するため、毎日、店を終えると父の病室へ来ていた。

 父との時間を過ごした記憶が、これからの入院生活の支えになる気がした。

 病室に入り、荷物の整理が終わると、程なくして私の左腕には、点滴の針が刺された。これからしばらくは、この管から逃れられなくなる。

 水とお茶以外は、口に出来ない。

 絶食生活の始まりである。

 体調は悪くなかった。痛いところもない。熱もなければ、血圧も正常である。

 異変を認めてから3週間が過ぎ、体重は数キロ減っていた。しかし、これは病巣によるものではなく、腸閉塞にならない為の食事療法をしていたからだ、消化の良いものを選び、満腹を避け、下剤を使って排泄を促していたためである。

 ここからは、点滴だけの栄養になる。

 点滴をしていると空腹感はあまり感じない。

 いや、腹は減る。グーと鳴く。

 なのに、食事の時間になると、いい匂いが漂って来るのを避けられない。テレビを見ると、食べ物ばかりが目についてしまう。

 毎朝担当医の回診があるのだが、体調を聞かれるだけである。検査の説明は、看護師がするし、結果の説明はない。

 予定されていた検査が全て終わっても、絶食以外の治療はなかった。

 何がどうなっているのか、さっぱり分からないままだ。

 入院してから1週間、体重は更に2キロ落ちていた。

 そりゃそうだ。点滴の栄養は、生命維持の最低限である。

 そんな中でも、毎朝簡単なストレッチをしていた。

 窓から差し込む朝日に向かって体を伸ばすのは、しゃんとして気持ちよかったし、手術へ向けての体力作りになると思っていた。しかし、体重の減少が加速してくると、それも難しくなってしまった。

 立ちくらみを覚えた朝、ストレッチは終わりにした。それからは、トイレに行く事と、水を買いに売店へ行く事が、唯一の運動になった。

 小さな小さな世界である。