その昔、自分のことだけを考えて生きていた。
いや、今でもそうなのだが。
あの頃は、理解されないことへの不満だけを抱えて、自我を突き通すことが重要であると信じていた。
偽りながら生きていても、それは、自分の人生じゃないともがいていた。
結果、関わり合った人たちを裏切る行為に至ってしまった。
1999年6月に始めた「碧い月」は、目測を誤った私自身の失敗により、一旦閉店することにした。
10年かけて準備した城を、たった一年半で逃げ出してしまったのだ。
何もかも失う覚悟だった。
親も家も、友も信頼も。
私が私であり続けるための、無二の選択だと疑わず。
ただ、ただ、自由を信じて突き進んでいた。
言い換えれば、単なるわがままであったと思う。
予想と打算と計画と不都合が入り乱れ。
自分で進むべき道を複雑にしていた。
だが、あの頃の私は、凄まじいエネルギーに満ちていた。
だから、一旦閉店でも、何も心配をしていなかった。
必ず再開できると確信していたのだ。
若かった。のか。
ま、実際、その一年半後にゼロから再開したのだから、我ながら、大したもんだった。と思う。
営業場所はその後も数回変わったが、これまで「碧い月」を失くす事はしなかった。
ここに移り、安住の地であるとの思いは、歳を重ねる度に染み込んでいた。
が、まさかのコロナ禍。
大震災でも、父の介護でも半月以上休まなかったのに。
営業するのが、物理的に怖くなった。
自分が感染するかもしれない恐怖ではなく、お客様に感染させる結果になるかもしれない不安である。
狭い店内での予防には限界がある。
毎日、その恐怖を感じながら営業するのは、心理的に無理だった。
潔く、休業を選択した。
自分のためだけではなく、社会のためにである。
幸いにも、国が用意してくれた「持続化給付金」があったので、維持できると判断した。
家賃と光熱費、通信費の固定費が何とかなれば、自分の生活費など大した事はない。
借金やローンはない。
欲しいものも、ほとんどない。
車も走ればいい。
趣味に注ぎ込むことは皆無。
金食い虫もいない。
スーパーでの買い物は、割引品がメイン。
ゲームのように、お金のかからない生活を楽しめる。
それを惨めだとは、全く思わない。
幸いである。
店をやっても、やらなくても、私の資産に変化はなかった。
ささやかな副業があるので、ここに至るまでに生活が困窮する事はなかった。
増えもしなければ、減りもしない。
強いて言えば、泥棒に入られたのは想定外だった。
犯人はまだ捕まらないし、取られたお金も戻ることはない。
しかし、それは、勉強代として割り切った。
慌てる必要はない。
合法的休暇だと思って、楽しめばいいのだ。
夏の感染爆発で、やっぱり休業していてよかった。
この状態では、年内再開も難しい。
と、思っていたら。
ぐんぐんと激減する感染者の数。
トリックがあるのでは?
と、思うほどの減少ぶりである。
こうなると。
いつまでも、遊んでいられないぞ。
と、自分に投げかける。
だよね。
じゃ、具体的にどういったスタイルにするか。
あ、話長いって?
だから、どうしたって?
はい。
11月から営業再開したします。
ただし、今のところは週末土日のみの営業です。
家族単位、少人数のみ対応いたします。
お友達同士の場合、3名様以上は、お断りする場合もございます。
メニューは、以前より少なくいたします。
飲食以外の時は、不織布マスク着用でご歓談願います。(家族の場合は、その限りではない)
状況次第では、再び休業する場合もございます。
こんな感じで、とりあえずやってみようかと考えています。
取り急ぎ、ここで発表させていただきます。
いや、長々と書きましたが。
開業一年半で閉店。
その一年半後に再開。
そして、この一年半の休業。
キーワードは、一年半でした。
休んだから見えてきたものもあり。
気持ち新たに、向かいたいと。
決意表明でございます。
あの頃、私は、いったい何に、抗っていたのでしょうね。
ふと、初心の決意を思い起こし。
現在に至る。
です。
申し訳ございません。
その後状況が変わりまして、コロナ禍とは関係なく、しばらく営業再開は見送らせていただきます。10/22