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訪問者

 時々店の前を通るニャンがいる。

 見ていると、迷わずアプローチを登ってくる。

 「どちら様ですか?」

 そう、声をかけると、

 顔色を変えずに、通りすがりの者です。といった面持ちで林に消えてゆく。

 私に見つからない時は、階段をトントンと上ってテラスをパトロール。

 ついでに、手すりの柱にガリガリとマーキングしているのだ。

 一号がいるときは、一号がやっているのだと思っていた。

 ところが、一号の亡き後も、爪研ぎの跡が真新しいのに気がついた。

 一号の縄張りを塗り替えようとしてる。

 それが、動物の掟か。

 

 そういえば、地震。

 ガラスと陶器の破損が少々。

 本が満タンの本棚がずっこけたが、本棚も本も無事。

 重い物ほど、動いた気がする。

 余震ね。

 変動し続ける大地に人は暮らしているんだね。

 そう思うと、何事も、受け入れるしか道はない。

 抗っても、太刀打ちできるはずもない。

 母の部屋にカメラを設置した。

 見守りカメラという名目だが、監視カメラである。

 物取られ妄想が、これ以上進行しないように、苦肉の策と言いたいところだが、当の本人も望んだ。ただ、詳細は、全く理解していない。

 設置して10日、泥棒が入るとは言わなくなった。と思っていたが、血圧の記録紙をなくしたことを泥棒のせいにした。やはり、無くしたものは、全て泥棒の仕業になってしまう。もちろん、誰も入っていないのは、カメラで確認済み。

 本人も、何であんな紙取っていくんだろう?

って。いやいや、自分で無くしたんだってば!!

と、心で突っ込むが、残念ながら、それは通用しない。自分で無くしたとは、絶対に認めないように、脳がコントロールされているらしい。

 ま、しゃーないね。

 今回設置したカメラは、携帯電話の電波を使うシステムになっている。

 多くの見守りカメラは、Wi-Fiを使った無線回線が主流である。母の施設には、Wi-Fiはない。電話回線も共同なので、そこから繋ぐことも出来ない。色々調べてたどり着いたのが、今回使うことになった見守りカメラである。

 性能の良い見守りカメラは、本体だけでも数万円する。それに通信費もかかるので、安心と引き換えの経費はバカにならない。今回見つけたのは、機材はレンタルなので、通信費込みのレンタル代になっている。携帯電話のひと月料金程度である。トランシーバー的ではあるが、会話も可能である。が、呼び出し音が鳴るわけではないので、突然話かけても、全く気づかれない。大音響のテレビが優勢なのだ。

 また、特定の行動を認識させておくと、メールで知らせが届くようになっている。

 便利なようだが、頻度が高いとうんざりする。

 カメラの映像は、いつでもスマホかパソコンから見ることが出来る。1週間分の映像も保管されているので、不審行動を見つけ出すことも可能である。映像は、鮮明とは言い難いが、赤外線センサーがついているので、暗闇でもちゃんと映っている。

 今月は、お試し期間で使っているので、色々と試行錯誤中である。

 本契約をするかどうかは、まだ結論が出ていないが、親の行動を監視するってのは、あんまり気分がよろしくないのが、本当のところ。だが、それが今の最善策。

 

 映像を見ながら思うのだ。

 あれが、私の未来だと。

 それが、何よりも、キツイかなぁ。