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始まりは黄色

 福寿草の群生地があると聞いて、ちょっくら車を走らせた。

 その昔、父が大切に育てていた福寿草の鉢植えを譲り受けたことがある。今ほど、植物をちゃんと育てられなかった頃で、花が終わると手入れを怠り、夏の暑さで簡単に枯らしてしまった。それからは、福寿草を見るたびに、心がキュンと痛む。

 20年以上前の話である。

 あれから、福寿草を育てることはない。

 土色の殺風景な冬枯れの景色に、いち早く春を運ぶ花ではあるが、この花は野に咲いていてこそ美しい。健気なようだが、ものすごく力強い生命力を感じるからだ。

 小さな集落の土手には、ちらほらと黄色い蕾が開きかけていた。

 凍てついた日が続いていたが、季節が、時が、きちんと動いているんだなぁ。

 

 父の思い出は、記憶の中で美化されている。

 分かり合えない時間の方が遥かに長かったのに、晩年の一年間で全てが帳消しになった。

 認知機能の低下は、必ずしも不幸なことではない。父の場合は、辛かった思い出は、全てどこかへ消えてしまった。親不孝の最前線を突っ走った娘の不祥事も、全て記憶から消え去ったのだ。

 都合のいい話だが、そのおかげで、私は、父と純粋な気持ちで向き合えた。あの時間があったから、私は、救われたのだと思う。だから、どんな思い出も美しく変換されたのだ。

 

 ところが。

 母には手を焼いている。どうしようもなく、苛立っている。理屈ではわかっている事も、声を聞いた瞬間に感情が優先してしまい、声を荒げてしまう。

 母の入所する施設は、昨年の12月から、面会制限が出ており、緊急以外は面会ができなくなった。私に取ってはありがたい限りで、食料は宅配便で送っている。こちらから電話をすることは、滅多にない。何しろ話をすると、苛立ってしまうので、わざわざストレスをかけるようなことはしたくはないのが人情である。いや、自分本位だが。

 そうなると、予想通りの事が起きた。

 物取られ妄想が再発したのだ。

 その防止策に、クローゼットに鍵を付けたのだが、それを壊されたと言い出した。

 いや、自分で壊したんでしょ。と突っ込みたいが、本人は、泥棒が侵入していると確信しているので、聞く耳など持たない。

 面会禁止だから、今は行けないと告げると、口では分かったと言いながらも、ぐちぐちしている。

 私は、カッとして電話をブチっと切ってしまう。

 しかし、しばらくして落ち着きをとり戻し、キツかったかなと反省して、電話をする。

 すると、どうしたの?と呑気に答える。

 再びカッとするのを押さえるのが、精一杯である。

 見ないフリをギリギリまでするのが、最大の抵抗になってしまった。

 とうとう、施設から報告が来た。

 もう、抗えない。

 さて、この状況を私なりに分析してみる。

 母の妄想は、私のお世話が行き届いていない不満が不安になっているからである。もっと寄り添い、電話もこまめにして、優しい言葉をかければそれで満足するのだ。と思う。

 しかし私は、優しくない。思いやりに欠けている。

 それは充分に自覚している。でも出来ないのだ。したくないのだ。

 私の脳が、それを拒否している。

 なぜか。

 それも理解している。その感情との戦いの中で、私は、母を介護している。

 施設に追いやって、介護もないが、それも、私の抵抗の一つである。

 母に悪気は微塵もない。妄想も、本人には真実なのだから、どうしようもない。泥棒という悪者を仕立てることで、自分の方を向いてもらえると誤作動しているのだ。

 妄想を引き起こすことで様々が正当化され、母の脳は保たれているのだと思う。

 理屈では判るのだ。

 ただ、無意識の中で起こる出来事こそ、その本質が浮き彫りになる。

 それが、耐え難き現実であるのだ。

 

 全てを投げ出して、見捨てたら。

 私は、後悔するのだろうか。

 母の終を見届けなかったら、悔やむのだろうか。

 

 とまぁ、ちょいと重い話でごめん。

 吐き出しておかないとさぁ、どんどん溜め込んじゃって、あたしが壊れちゃうからさ。

 ご勘弁くだされ。

 ま、休業中なのが幸いしてる。

 こんな感情抱えたまま仕事してたら、簡単に行き詰まるわ。

 それほど器用じゃないのよねぇ〜

 んじゃ。