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休業143日目

 山の朝は早い。

 夜明け少し前に、隣のテントからアラームが聞こえた。

 最小限の人工物しかない山奥で、電子音が鳴る。少々興ざめだが、そういう時代なのだ。

 ざわざわと動き出す人たち。

 おそらく、最高峰の大日岳まで行くのだろう。

 テント泊した切合小屋から、大日岳までは、5時間である。夕方までにここへ戻るためには、早朝出発になる。

 私は、飯豊本山を目標にしているので、片道2時間である。昼までに戻る予定なので、早く出発する必要はない。だが、周りのざわざわで、二度寝はできなかった。

 ゆっくりと朝食をとり、いざ出発。

 ものすごくいい天気である。荷物は置いてゆくので、飲み物と行動食だけの身軽さである。スキップする勢いで歩き出した。

 荷物が軽いというのは、こんなにも楽ちんなのか。

 咲き誇る花々に、切り立つ崖に、振り返る道筋に、いちいち歓喜しながら楽しく登っていった。

 そして、とうとう飯豊本山頂上に立ったのだった。しかも、誰もいない貸切状態である。

 昨日の登りが報われた瞬間であるのだが、そんな苦労はすっかり遠い過去になっていた。

 予定通り、昼には切合小屋に戻り、またまたゆっくりと昼食を取り、テントの撤収をした。実は、もう1泊ここに泊まる予定だったが、三国小屋と切合小屋の間が、思いの外アップダウンや岩場が多く、少しでも帰りを楽にするためと、小さいが天気の崩れがありそうだったので、三国小屋まで移動する事にしたのだ。

 午後4時三国小屋に到着。思わず、「ただいま〜」と言ってた。

 その日の宿泊は、4名。小屋を贅沢に使わせてもらった。

 そもそも、三国小屋に宿泊する人は、そう多くはないらしい。しかし、もう一度飯豊に登るなら、ここでの宿泊をプランに絶対入れたいと思う。それほど、管理人の金子さんは、素敵な方だった。

 強いて難点を言えば、水場がない事である。トイレや簡単な手洗いは、雨水を利用しているそうだが、飲料水は、水場まで汲みにいかなければならない。登りなら、途中の水場で調達し、下山途中なら、切合小屋から持ってゆく事になる。もちろん、購入もできるが、それは非常時以外は、できれば避けたい。

 多めに汲んで行ったつもりだったが、夕飯と朝食、次の水場までの水分を考えると、多すぎる事はなかった。

 夕飯後、屋根にあたる雨音が聞こえてきた。

 テントじゃなくてよかった。

 夜半、風が強くなった。

 夢との境で、

 三国小屋まで来てよかった。心から思えた。

 翌朝、雨も風も止んでいた。すっきりとした夜明けだった。

 今日は、下山して帰るだけである。しかも、三国まで来ているので、4時間降ればいいだけなのだ。気持ちが楽である。

 飯豊本山へ出発する人たちを見送り、水汲みに行く金子さんと一緒に小屋を出発した。

 小屋から水場までは、20分くらいらしい。背中には背負子、足元は長靴の金子さんは、岩場をひょいひょい越えてゆく。その足取りは、軽やかである。

 実は、下りが苦手である。延々と4時間降り続けるのが、ちょっと心配だった。だが焦る必要はない。無理せず、ペースを崩さず、確かに降りて行けばいいのだ。

 慎重に降る私を、金子さんは分岐点で待っていてくれた。

 また来ますね。と約束し別れた。

 予定通りの時間で、無事下山する事ができた。

 いい山旅だった。

 体力の不安は大きかったが、多少なりともトレーニングしていたのが役に立った気がする。

 少し、自信がついたが、山登りに過信は禁物である。

 また、このご時世、何が起きるか分からない危機もはらんでいる。自己責任や保険では、補いきれないことも十分に考えられる。

 ものすごく楽しい山行ではあったが、それは、何も起こらなかったからに過ぎない。

 それが自分の努力だけではどうにもならない現実も、忘れないでいよう。