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休業93日目

怒りの出現

 なんとも物騒である。

 珍しくネガティブ的思考に陥った。

 怒りはいったいどこから来るのだろうか。それを冷静に判断できれば、怒る事はなくなるのだろうな。と思いつつ。どうしようもない感情の高まりを鎮めるのに困惑した。

 思考は、自分の物差しでしか測れない。そのメモリが他者と合致する事はない。当たり前と思っている事が皆同じとは限らない。記憶の蓄積が曖昧になれば、さらにメモリのズレは大きくなる。

 そんなのわかってるよ。

 だが、しかし。

 時として、それがどうしようもなく受け入れ難くなる。

 高齢者施設に入居している母は、緩く認知機能が壊れてきている。本人もなんとなく変だと思ってはいるようだが、自分がボケるとは思いたくないので、モノをなくすと全て泥棒のせいにする。それでバランスをとっているのだと思う。あくまでも自分は被害者で、泥棒が入るからなくなると信じ切っている。そして、そのストーリは、自分の中では完璧であり、揺るぎなく出来上がっている。それを真っ向から否定するのは簡単だが、ボケ老人と刻印することでもある。それは、混乱を更にひどくさせる恐れがある。よって、感情的に怒りをぶつけてはならない。これは、認知症高齢者に対する鉄則である。

 母の泥棒騒動は、少し落ち着いていた。押入れに鍵を付けることで、納得し、金銭をなくす事はなくなった。

 

 昨日、母を訪問する前に電話をすると、また泥棒が入って保険証を取られたとヘラヘラ笑いながら告げられた。

 カーッと一気に血が巡るのがわかった。それでも、自分を抑えようと努力した。

 母にとっては、ものをなくす事は泥棒に入られた事なので、自分は被害者である。よって、何一つ自分は悪くないのだ。

 もちろん、実際に泥棒が入る事は、物理的に不可能である。入ったところで、ピンポイントで保険証を盗んでもなんの得もない。

 保険証などは、何度でも再発行できるので、大きな問題ではないのだが、電話の向こうでテレビを見ながら笑って受け答えしている声に、猛烈に腹が立った。

 心の中で「クソババァ」と叫んでいる自分がいた。

 何故、こんなにも腹が立つのか。何故、父の時のように優しく出来ないのか。

 自問自答しながら、このまま車で1時間も移動したら、途中で事故を起こすかもしれないとクールダウンを試みた。

 難しい。ああ、怒りが止まらなーーーーい。

 途中のスーパーで、母の食料を選びながら、自分用の甘いコーヒー牛乳をカゴに入れた。ささやかな横領であるが、ちょっと心が痛む瞬間でもある。

 私は、案外小心者なのだ。

 罪悪感を持ちながら飲んだ甘いコーヒー牛乳が、神経をほんの少し緩めてくれた。

 気がする。

 母は、ケロリとしていた。全ては泥棒のせいなので、完璧なる被害者になっている。

 それでも一生懸命探したと言う。いやいや、泥棒なら探す必要ないでしょ。と突っ込みたくなるが、そもそもが何処にしまったのかを覚えていない言い訳なのだ。

 実は、前回訪問した時に、新しいポーチを持っていった。財布がないと言っていたので、取り出しやすいポーチがいいだろうと思ったのだ。しかし母は、ちゃんと財布を持っており、持参したポーチには、保険証を入れることにした。ちょうどいいサイズだった。

 ところが、ポーチは、母が求めていたものではなかったのだろう。ポーチ自体の記憶と現物が消え去り、同時に中の保険証も消えてしまったのだ。

 私は、もう一度探してみたが、見つけ出すには時間がかかりそうだった。再発行の方がいいと判断。町内の支所へ行くことにした。その際、身分証明書が必要なのでそれを出してもらうと、なんと、そこには、前回泥棒に取られたと騒いで、再発行してもらったばかりのバスの利用パスが入っていた。

 それを母に見せ、

 ほら、泥棒なんてどこにもいないでしょ。自分でしまい忘れただけなんだよ。

 かなりキツく言ってしまった。

 バツが悪そうな母を連れ、保険証の再発行手続きを終え、騒動は一段落した。

 私の怒りが収まったわけではないが、矛先のない怒りは無益だと自分をなだめた。

 母を施設に送り届け、私は、そそくさと帰路についた。

 この話にはオマケもある。

 保険証を探すために、押入れを物色していると、奥の方からカバンが出て来て、その中には、以前使っていた財布があった。中には、1万円分ずつ丁寧に束ねたお札が入っていた。これまで、泥棒に取られたと騒いでいた金額とほぼ一致した。

 母が、このお金の存在を自覚しているかどうかわからない。触れないほうがいいと思ったので、そそくさと元の場所に戻した。

 以前から思っていたが、母には、母の知らない別な人格があるのだと思う。

 それで諸々の折り合いがつく。

 別な人格の出現が、終わりへの始まりになっているのだ。

 

 今朝、少し反省した私は、母に電話をした。

 何をなくしても、盗まれてもいいからね。なんでも再発行できるから、気に病まないでいいんだからね。

 電話の向こうで、安堵した母の声が嬉しそうだった。