アラジンストーブ
1957年に、ヤナセがイギリスから輸入を始めた灯油ストーブ。完全燃焼の炎がブルーたっだので、ブルーフレームの愛称でも知られる。
高度成長期の真っ只中、最初は売れなかったらしいが、暮しの手帖で紹介されると、おしゃれに敏感になっていた層に一気に広まったらしい。
このストーブは、1960年に入ってからの品物。私より年上である。それを長い事愛用していた。かれこれ20年近く現役だった。
薪ストーブだけでは心許ない時や、薪を焚くほどでもない時に、活躍してくれた働き者である。数年前から調子が今ひとつで、修理を試みたが、このタイプは修理不可と分かり、だましながら使っていた。決定的故障ではないので、ちょっとした工夫で何とかなっていたのだった。
半世紀もの時を経ても、家を、人を、心を温めてくれるこのストーブを使い続けることが、美学のようにも思っていた。
このタイプは、現在なかなか手に入らないのも知っていたので、手放すのが惜しいとも思っていた。マニアには、たまらない型番なのだ。
だが、今日、このストーブを手離した。梱包されたストーブは、クロネコがすたこらさっさと運び去ったのだ。どこへ行くかはわからない。
潔く、売り払ってしまったのだ。
20年近く前、これを手に入れた時、ほんの少しの感傷が伴っていた。
それとは全く関係なく使い続けていたのだが、いざ手離すと決まったら、何となく、ぼんやりと、その頃の記憶が揺らめいた。
今よりも少し若かった時、あれ、20年前だったら、少しじゃなく、ずいぶん若かったでもいいのか。
ともかく、20年前。三春に移り住む以前に、私は、このストーブを伴って、1年半の旅を終えたのだった。なぜこのストーブを貰ったのかは忘れたが、何かと交換したような気もする。記憶などは、かなりいい加減なのもである。その人は、同じストーブを2台持っており、私が物欲しそうにしてたのだろう。古い方を譲ってくれたのだ。後に、このストーブが自分より年上だと知って、驚いた。と同時に、1年半の旅を忘れないように、大切にしてゆこうと思った。
ま、でも。
その後、あの時間を思い出す隙間さえ、存在しなかった。
なぜ自分が旅の人になり、なぜ旅から戻り、旅の思い出を振り返らなかったのかは、今は、ものすごくハッキリと理解している。
過ごした時間は、全く無駄ではなかったし、二度と経験出来ないであろう異次元を旅していた感覚は、貴重な資料として私の脳に残っている。それは、懐かしさとは違う記憶なのだ。
と。
このストーブの売買が成立した時、気がついた。
思い出は、美しい。
いやいや、それは、自分が美化してるだけの妄想なのだよーん。
つまり、私は、美化する事はなかった。のね。
ちなみに、希少品番なのでぼったくろうかと思いましたが、適正価格で取引成立。明日には、新しい持ち主に届くでしょう。
半世紀以上も働き続けるアラジンストーブちゃん。今度は、どんな物語の手助けをするのかなぁ。まだまだ、働いてねー。
あ、なぜ売ったかって?
もっといいのが手に入ったからでーす。世代交代っす。