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休業51日目

 福島県の緊急事態宣言は、解除され、営業自粛も緩和された。新規感染者も出ていない。

 久しぶりのまとまった雨で、緑が一気に育ち、濃くなった。

 だが、草むしりの半分も終わっていない。一度きれいになった場所から、またニョキニョキ生えてきている。これからが本番なのだ。

 再開時期を模索している。

 懸案事項が色々とある。それがクリアーにならない限り、簡単ではないと思っている。

 

 久しぶりに。

 3ヶ月ぶりに母の施設へ行った。

 これまでは、クロネコさんに食料を運んでもらっていたのだが、ちょっと心配なことが続き、母の精神バランスが乱れてきていた。

 再び、物取られ妄想がひどくなっていたのだ。

 母は、入り口ドアに別の鍵を付けたいと言い出した。不可能ではないが、何かあった場合の対処が難しくなる。どうしたもんかとあれこれ考えた結果、押入れに鍵をつける事を思いついた。自転車のチェーンロックのを絡ませれば、鍵になると閃いたのだ。

 早速母に話してみると、是非やって欲しいと懇願された。

 だが、面会規制があるので、すぐに設置は難しかった。また、鍵を付けても、ダイヤル式の番号を忘れる可能性は大きいし、キー式の場合、それをなくす可能性も大だった。

 あれこれ思案しているうちに、母の方は、どんどん妄想がひどくなってきた。

 事情が事情なので、面会が許された。しかし、同じ空間にいるのはなるだけ避けようと考え、部屋を離れる食事の時間を狙って行った。

 久しぶりに入る母の部屋は、びっくりするほど整理されていた。押入れへの鍵の設置は簡単だった。番号合わせの鍵にしたのだが、その番号は、好きに設定できるのが見つかった。母が絶対に忘れないであろう番号を設定して、準備完了。仕舞い込んだであろう、無くしたものを探そうとあちこち見てみたが、あまりにも綺麗に整理されているので、いじってしまうとすぐにバレそうだった。聞けば、毎日やる事がないから、整理整頓してるそうだ。

 なるほど、それでどこに仕舞い込んだのか、分からなくなっているのだろう。

 探すのは、諦めた。その代わり、封筒に入れたお金を隠してきた。

 食事から戻った母に、鍵の使い方を説明して、実際にやってもらった。少し手間取りながらも、なんとか出来そうだった。何より、ものすごく喜んでいる。

 母は、自分が意地悪されて泥棒に入られていると思っていたようだった。

 これまでは、「少しぐらいのお金あげちゃおうよ」と言ってなだめていたが、あまり効果がなかった。なくなるたびに、悲観的になっていた。もちろん、大切なお小遣いがなくなるのだから、当然である。

 今回は、なんとなく、その人は病気なんだよ。と言ってみた。

 すると意外な反応だった。

 すごく真面目な顔で、

 病気だったら、取った事が分からないの?と聞いてきた。

 そうだよ。自分で泥棒してるのが分からないから、返すこともできないし、ゴミかと思って捨てちゃうかも知れないね。だって、病気だからね。

 神妙な顔つきで、納得していた。

 久しぶりに会ったのが良かったのか、好物の寿司を買っていったのが良かったのか、鍵がついた事と謎が解けたのが良かったのか。

 おそらく、全てが良かったのだろう。

 母は、落ち着きを取り戻した。

 取られたお金が戻ってきた。とまで、言ってきたそうだ。

 それは、もしかしたら、私が隠して来たお金を見つけたのかも知れないが、それなら、作戦成功だ。自分が隠したお金なら、もっといい。

 

 認知症の始まりは、それぞれだが、分からなくなる事に恐怖心を抱くのは、当の本人である。それを誤魔化すために、あらゆる理由が生まれる。自分の頭の中でそれらが正当化されない限りは、混乱は一層ひどくなる。めちゃくちゃな理由でも、絶対的に必要なのだ。

 家族は、それを頭ごなしに否定してはいけない。拒否される事が最も不安を煽るのだ。

 まだ始まったばかりだが、母の不安が増えないように、子供騙しのような事でも、実に真面目に取り組んでゆかなければならないなぁ。と、しみじみ思った。