老人福祉施設に入居させている母がいる。84歳だが、要支援なので介護がない施設にいる。食事は付いているが、部屋にミニキッチンがあるので、夕食は自分で作っている。毎週水曜日に移動販売車が来るので、たいがいの物は買えるが、商品を選ぶのが苦手らしく、決まった物しか買えない。よって、普段食べる物は、宅急便で送っている。
もりもり食べる時代は、とうに終わっているので、好きそうな物を見繕って送っている。一人分にパックされた惣菜や野菜、卵に牛乳。ジュースやアメ類、和菓子。水道水がおいしくないというのでペットボトルの水。一週間から10日分を詰め込んで送る。お小遣いも一緒に送る。お金の管理は、全く出来ないので、少しずつ送っている。それでも、無くすことがしばしばである。
要支援とはいえ、脳機能は、かなり衰えている。まだらではあるが、認知機能の低下も否めない。ただ、本人は、全くボケていないと思っているようだ。
まぁ、自分で理解できたら、認知症とは言わないか。
父は、アルツハイマー型認知症だった。その時、認知症についてずいぶん勉強した。なので、母が同じように認知機能が壊れても、ちゃんと対応できると思っていた。ところが、私の考えは甘かった。なぜなら、そこに、自分の感情を投入できていなかったのだ。
感情的になった私は、母がしでかした失敗を真っ向から叱ってしまった。
これは、認知症の人には、絶対やってはいけない仕打ちである。
母は、当然ながら傷つき、混乱した。と思う。
しかし、それ以上私に叱られるのが怖かったのだろう、その傷を覆い隠そうとした。
結果。
認知症の初期症状が強くなった。妄想である。
物取られ妄想が始まったのだ。
もちろん、実際に取られたりはしていない。自分で何処かへ隠してしまったのだ。ただし、隠した記憶は失っているので、結論として、泥棒が入ったと信じて疑わない。
母の見た目は、至って普通である。そこそこ社交的だし、はっきりと受け答えもする。ぱっと見認知症と思わせる要素は見当たらない。
だから、お金がなくなった。泥棒が入った。と言えば、周りの人は疑わない。だが、物理的に、盗みに入れる隙はないのだ。
その言動が、母のSOSだと理解した。
それまで私は、母に優しくなかった。正直、意地悪だった。
それは、心の中心で、どうしても許せない思いが消えなかったからなのだ。
老いた母に、仕返しをしていたのだと悟った。そして、それは、無駄な行為であったと思い知った。いや、無駄どころか、自分の首を絞めていた。
わだかまりが消えたわけでは無いが、過去に執着して、ネチネチするのはやめようと、心を整理した。
私の抱いていた感情を正当化したところで、何も生まれない。
キッパリと決別して、全てを受け入れよう。
そう思ったら、この事態。
母の入居する施設は、面会禁止となった。必要な物は、クロネコさんが運んでくれる。母は、娘の引きつった顔を見なくて済むのだ。
あはは。
これは、ある意味、有難い。不謹慎だが、自粛万歳である。
ちなみに、無くなったお金は、探すチャンスを逃したが、いつか出てくるだろう。以前も同じような事が起きた時、数ヶ月後にちゃんと出て来た。だから、全く心配はない。
母には電話で、
「ウチは金持ちだから、お金は、泥棒さんにくれてやればいいよ」と。
「そのお金が誰かの役に立つなら、あげちゃっていいんだよ」と。
大笑いして言ってみた。
逆転の発想ですわ。
お陰様で母の妄想は収まり、落ち着いて来たのだった。
とまぁ、今日は、別な現実から。