高校2年の春に父と暮らした家を出るまで、お風呂は薪で焚いていた。湯船は木の桶だった。多分ヒノキかサワラだったのだろけど、定かではない。父の大親友が桶を作る職人だった。とはいえ、注文の決して多くない時代に入っていたので専業ではなく、頼まれたときだけ作っていたのだ。そのおじさんが作った湯船に生まれた時から入っていた。何しろ私は産婆さんが取り上げた自宅出産だったので、産湯用の桶もちゃんとあったのだ。そして、物心ついた時から風呂焚きをしていた。風呂焚きは、大好きだった。窯口で揺らめく炎を見るのが大好きだった。それだから、焚きすぎることもしばしばで、湯船が溢れるほど水を加えなければならないこともあり、ありったけのバケツに汲み分けたりもした。
おそらく、都会の人や40歳以前の人には、何のことなのかわからないだろうな。ボタンを押せばお湯が出てくるシステムは、私の暮らしにはなかったのだ。
だから、火のありがたさを知っている。よって、薪ストーブのある暮らしに迷いはなかった。
今の薪ストーブは、20年前に長野のストーブ屋さんに作ってもらった。つまり、オーダーなのだ。雑誌か新聞か忘れてしまったが、一目ぼれして、すぐに工房へ出向いて注文したのだった。一人でコツコツ作っている方で、製作には1年くらいの余裕を持っていなければならなかった。脱サラでストーブ職人になった方で、たった1回会っただけだったが、何度か手紙をやり取りしたり、メールを交換したりした。信念を持った哲学的な人だった。私も信念を持ってその方に依頼したのだが、裏磐梯の店を閉める時、200キロのストーブを持ち出すことができずに、ずっと眠らせていた。そのストーブを再び手元に戻して使うようになって3度目の冬である。
あれだけこだわって作ってもらったストーブを、私は、たった二冬使っただけで、10年以上眠らせてしまった。だが、鉄の塊は、錆びることなく、静かに目覚めを待っていてくれた。
薪ストーブに憧れている方は多い。揺らめく炎ってもんは、人の心を穏やかにするらしい。しかし火は、生きものと同じである。意のままに操ることは難しい。
このストーブは、ちょっと気難しい。オーブンを備えた作りにしてもらったため、火の周りに少し問題があった。しかしその問題は、苦肉の作で解決させたが、それでもやはり、気難しさは変わらない。最善の状態で燃えてもらうためには、日々のメンテナンスは欠かせない。その最大の仕事が、煙突掃除なのだ。
通常、これくらいの薪ストーブを設置する時は、煙突を二重煙突にするのだが、費用が高い。その値段は、薪ストーブの本体と変わらない位かかる。ここでは、以前使っていたストーブの煙突設備がそのまま残っていた。最も簡素な煙突なのだが、煙突に変わりはない。大きな問題は、煤が付きやすいということ。よって、頻繁に煙突掃除をしなければならないのだ。このストーブを取り戻した時、新しい煙突にする予算がなかった。無理やり既存の煙突に組み込んだので、気難しさに拍車がかかった。そうなると、俄然、燃える。ストーブがじゃない、私が闘志に燃えるのだ。
気難しい奴と付き合うには、こっちも一方方向からだけじゃなく、よーく観察して、問題を見つけなければ、いつでも同じところで行き詰まってしまう。いや、煙突が詰まってしまうだ。
実は、煙突掃除が結構好きだ。煤を掻き出した後の燃えっぷりは、惚れ惚れするほど美しい炎なのだ。そのために私は、屋根に上り、脚立に上り、椅子に上って煙突を分解する。そして、煙突ブラシでゴシゴシ煤をこそぎ取る。今回は、もっとキレイにするための秘策も使った。それが良かった。組み立てには、ずいぶん手間取ったが、やればできるもんだ。風で煽られながらも、スズメバチにうろつかれながらも、屋根からネジを落としながらも、ついでに煙突も1回落としたけど。ちゃんと一人でやり遂げた。
あー、私って、偉いなぁ。と、誰も褒めてくれないから、自画自賛。少しの筋肉痛も心地いいぞ。と、強がり。そう、冬の方が筋力使うのよね。
さて、これからは、薪作りのために、肩の筋肉鍛えなきゃ。
ちなみに、これから切る薪は、この冬のためじゃなく、来季に燃やすための燃料である。アナログな暮らしは、少し先を見ながら計画していかなければ、路頭に迷うのであった。