11日(水)は、宮城県の名取市まで出張公演。
尚絅学院大学 市民大学講座の講師として、2009年から年数回勤めている。平日の昼間で市民対象なので、受講生の多くは還暦を超えた方々である。講座といっても、堅苦しい授業ではなく、一歩的な私のワンマンショー的な内容である。福島県内、いや、三春町内でも名が知れているわけではないのに、賢治人気なのか、無料講座だったからなのか、申し込みは100名を超えたこともある。その全員が毎回参加するわけではないのだが、どうやら人気講座らしかった。
それが、今年度から講座が有料になった。全6回で¥3,000である。それが高いのか、妥当なのかよくわからない。しかし、明らかなのは、受講生が1/4に激減したということだ。半分は新規受講生なので、無料講座から有料講座に移行した人たちは、10パーセント程度ということになる。
裏返せば、10パーセントの人が、私の朗読に何かを感じてくれたということになる。そして、新規参加した人たちは、無名の朗読家の講座にお金を払って来てくれている。ありがたい。
講座の内容は、募集が始まる前に決定している。私は、今期が最後だと思っていたので、自分の好きな作品だけを選んだ。もう、やりたい放題やるつもりだったのだ。
1時間半の講座を、私は、ひたすら喋り続ける。実際の朗読時間は、30〜45分なので、その前後は、作品の説明や雑談になる。朗読後は、おやつも振舞う。毎回、完全燃焼である。しかも、今期選んだ作品の多くは、エキサイティングな内容ばかりで、私の朗読もエキサイティングなわけで。叫ぶと書かれていれば、声を限りに叫ぶし。泣きながらと書かれていれば、なりふり構わず号泣する。それを朗読と呼んでいいのかどうかは、不明であるが、私には、そのやり方しかできないのである。
今回もまた全力疾走してきた。
「土神ときつね」を読んだのだ。朗読時間は45分。まるで、ちょっとした山を登るくらいのエネルギーを使う。全く遠慮せず、叫びたいだけ叫んだ。その叫びがリアルすぎたのか、物語が終わっても、静まり返ってしまい、拍手が来ないのだ。シーンとした間が・・・・。どうも、拍手をもらえないと終わった気がしない。仕方なく「おしまい」と言って強制終了させた。初めての経験である。まぁ、内容が内容なので、仕方もないのだが。
教室に明かりが戻ると、ほっとしたように大きなため息をついて、やっと現実に戻る。朗読中は、現実と隔離するため、電気を消して和蝋燭1本の灯だけなのだ。そして、おやつタイム。まるで保育園のご褒美みたいだが、講座の最後は、テーマごとのお菓子を食べて終了となる。
私の生業はカフェの店主としての仕事である。ケーキを焼き、コーヒーをおいしくいれるのが私の糧となる。当初は、来店につなげようというもくろみがあり、お菓子を振舞った。だが、参加者のほとんどが還暦越えであるため、隣県のカフェまで自力で足を伸ばそうという方は、ほとんどいないのだ。しかし、始めてしまったのだから、やめられない。
そうやめられないのだ。
何事も、止めどきを見失うと、自分の首を絞めることになる。
変化するのは、物事の常である。それを客観的に受け入れなければならないな。
おっと、そんなことじゃなかった。タイトルは「全力疾走」だった。
ワンステージ終えると、運動後の心地よい爽快感と、程よい疲労感に包まれ、「走り終えたなぁ」としみじみ感じるのであった。
それって、自己満足か。あはは